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 高貞碑(六朝楷書)について
   高貞碑の横画の書き方  高貞碑の 縦画とハネの書き方 高貞碑の編と旁の関係  書道教室トップページ ㈱日本書技研究所 

 初めて楷書を習う時、初唐の虞世南(ぐせいなん)[孔子廟堂碑]、欧陽詢(おうようじゅん)[九成宮醴泉銘]、ちょ遂良(ちょすいりょう)[雁塔聖教序]の名蹟を
学び、次にだんだん六朝に進めるが、学会では六朝をここで学びます。六朝楷書で特に北魏は楷書の宝庫、特にこの高貞碑は北魏の雄大、初唐の整正を兼ねて
理性的な書です。楷書学習には格好の模範で高貞碑にみられる結体の巧緻、筆力の強靭、抑揚の変化を学びましょう。



三国六朝時代は世相が変わり仏教が興って、芸術発展の基礎が出来上がり、それに応じて書には南方に王羲之、北方に鄭道昭の天才が出現。
北方の書は雄健素朴、代表作に高貞碑(こうていひ)、石門銘鄭道昭の諸碑、張猛龍碑などがある。

張猛龍碑(522)高貞碑(523)などの直線的な鋭い方筆に対し、鄭道昭の書は一般的に曲線的であることから円筆の代表といわれています。
しかし、鄭道昭の書は方筆の要素も多分に秘めています。論経書詩や東堪石室銘は、円筆と方筆をうまく織り交ぜた傑作です。


楊守敬が明治13年(1880)日本来日時、日下部鳴鶴、巌谷一六、松田雪柯の3人は、常に楊守敬の寓居を訪ねて六朝書法を研究し、これより六朝書道が日本でも盛んになった。
『不二』誌3月号まで習った、大久保公神道碑が六朝楷書 そのものである。

  
高貞碑の概説

高貞碑は清の嘉慶11年(1808年)に山東省徳県から出土して、現在は山東省博物館に隣接する山東省文物考古研究所にある。
北魏の正光四年の刻。先帝・宣武帝の皇后の弟・高貞の26歳の死に臨み「魏故営州刺史懿侯高君之碑」として建立。232×91㎝。全24行、一行ごとに46字が楷書で 篆額は陽文で「魏故営州刺史懿侯高君之碑」と刻されている。

 
篆額の拡大

 

北魏後期の書は方筆系と円筆系に大別され るが高貞碑は方筆系に属している
 



































































横画の書き方

45~50度に筆をきっかりと打ち込み走筆は中鋒で平勢にする。終筆(収筆)は起筆と同じ方向で筆を止め、軽く止めてから元に戻す。
収筆は抜いた感じで角を付けていない。




偏と旁の関係


北魏の書
高貞碑は偏と旁が入り込んでいる間の取り方に特長がある。
筆勢は平正で力強い横画が高い緊密感と安定性を生んでいる。  



この様に偏と旁が入り込む表現は他の古典には見られない、高貞碑独特なディフォルメを学びたいものです。


縦画の書き方 

縦画は垂直で鉤(こう:ハネ)の部分が長く直線的で厳正な形態に特長がある。
筆を斜め45度からしっかり紙に食い込む様な調子で打ちこみ、一旦軽く筆圧を加えてからちょっと戻し
そのまま中峰で縦に引く。
ハネの書き方
下端で筆を止め起筆と同じ調子で筆を少し起こし、筆を押し出すようにして
筆圧を加えながらはねる。 ひょろひょろと浮いた線にしないことです。

 

以上運筆で大切な遅速緩急・線の方向・筆勢の強弱・点画の抑揚などを捕らえながら臨書ください。

   

中鋒  運筆法の解説に二種ある。

1.筆の穂先が常に点画の中央を通るべしとすること、かくすれば  筆力沈潜して趣到深きものとなる、という説。  (以下略)

2.楊守敬は前説に反対し、画の中央を常に穂先が通ることは変化を  与えないことになる。穂先を中正に持っ  ておれば、八面に穂先が時に応じて出ることができて変化ある筆法となる。(以下略)