法帖とは
 基本の解説
 TOPページ      
○法帖(ほうじょう)とは 古人の書の名跡を石や木に模刻して拓本をとり、学書や鑑賞のために折本(おりほん)に仕立てたもの
○臨書とは 書の学習の大半は臨書だといっても過言ではありません。臨書とは,古典を座右に置き実際に筆を執って学ぶことですが
過去の第一級の書人が,その時代にどの様に書として表現しているかを肌で感じとり,自分に無い表現を
学び取る、これこそが臨書の目的です。


臨書のしかた
① 形臨(けいりん)  古典の文字に忠実に形をまねる、学習するな方法。
② 意臨(いりん) その古典の持つ筆意や作者の意図(精神性)をつかみ取理ながら学ぶ方法です。
③ 背臨(はいりん) 形臨・意臨を体験した後、古典を見ずして書学する方法です。何回も繰り返すことによって書作の原理や方法を養うという臨書方です。

 上田桑鳩 臨書とは、
 臨書は臨書の為にするのではなく、一家を成し創作を自由になし得る為(書写表現の習得の爲)の準備行動である・・・それで無自覚に写実的に習って居ては得る所が少ないし、感受性があっても、その表現の優れたポイントに気付くことが出来ないから、手本を習っても身に付かないことになる。それで、感受性の活用できる方法によって臨書しなくてはならぬ事になるが、それには手本を鑑賞しつつ習う方法が最も適しているのであって、手本を見て感じたる感情を、主観によって表現する方法に依るべきであります。

 桑田笹舟(今日の関西かな上位の基盤をつくった一人)
 臨書とは、
 古人の手の中で自分の手を訓練し矯正することである。
 古人の目の中で自分の目を訓練し矯正することである。
 古人の思想の中で自分の思想を訓練し矯正することである。
即ち 臨書とは、 自分の手。目、思想を矯正することである


○古典とは何か 書の歴史は三千五百年に及んでいます。これまで多くの人々が書を書き,その中のほんの一握りの作品だけが古典として今に残されています。大量の砂の中のきらりと光る砂金のようなもの、砂金だけを取り上げたのが古典と言えます。
   古典名  作者  古典名   作者
 楷書      九成宮醴泉銘   大久保公神道碑   〔日下部鳴鶴〕
 孔子廟堂碑      
 雁塔聖教序    
 孟法師碑    
 楽毅論(がっきろん)  王羲之  
 行書     蘭亭序    
 集王聖教序    
 王羲之尺牘  王羲之  
 祭姪文稿・祭伯文稿・争坐位文稿  〔願真卿〕  
 草書    十七帖(じゅうしちじょう)  王羲之  
 王羲之尺牘  王羲之  
 自叙帖    
 書譜       
 隷書   曹全碑    白玉井銘   〔貫名菘翁〕
 礼器碑    
 張遷碑    
 乙瑛碑    
 呉譲之臨天発神讖碑     
 かな       高野切第一種   [伝紀貫之]  元永本古今集上・下〈抄〉   [伝源俊頼]
 高野切第二種   [伝紀貫之]  針切   [伝藤原行成]
 高野切第三種 ]  [伝紀貫之]  升色紙  [伝藤原行成]
 関戸本古今集   [伝藤原行成]  継色紙   [伝小野道風]
 中務集   [伝西行]  寸松庵色紙   [伝紀貫之]
 近衛本和漢朗詠集   [伝藤原行成]    

歐陽詢の九成宮醴泉銘は楷法の極則といわれています
 九成宮醴泉銘  願真卿  蘭亭序
  顔真卿「自書告身」   

顔真卿(がん しんけい

737年(開元25年)に進士及第し、742年(天宝元年)に文詞秀逸科に挙げられ、監察御史に昇進し、内外の諸官を歴任した。ただ、生来が剛直な性質であったが為に、権臣楊国忠に疎んじられ、753年(天宝12載)に平原郡の太守に降格された。